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生活の中で嬉しいこと、楽しいこと、面白いことはたいてい真っ先にたいせつな人に話したくなります。

どう受け取られるか分からないけれど聞いてほしいこと、悲しいことや愚痴であっても共感してほしい話題もあります。そしてたいせつな話は、たいせつな人にしたくなります

つぎにいつ会うか分からないような、この先を考えないような人なら言わなくたってかまいません。好きだから、たいせつだから、だからこそ話したいことがある。

私はそんなたいせつな何人かの人たちに同性愛者であることをカミングアウトしました。

この記事では、さまざまな関係性において起こりうるカミングアウトの事実や相手の反応など、自身のカミングアウトを通して感じたことや、学んだことを体験記に近いかたちで記載します。

 

カミングアウトの必要性。そもそもなぜカミングアウトするのか?

私は小さい頃から牛乳が苦手です。恥ずかしながら、いい歳になったいまでも牛乳が飲めません。

この「牛乳が飲めない」という事実を、常日頃からあえて人に表明することはありません。表明するとしても、まあ牛乳を飲まざるを得ない状況におかれたときくらいです。

これは「牛乳が飲めない」という事実が

①対人関係においてその話題や状況になる頻度が高いものではなく

②その人のパーソナルな部分にあまり関わりあいがないうえに

③本人がわりと(いや、かなり)重要性が低くどうでもいい事柄であると感じているからです。

ものすごく当たり前なことを書いてしまいましたし、いまこうして書いていて本当にどうでもいいことだなと感じています。

では逆に、牛乳が

①対人関係において話題になる頻度が高く

②その人のパーソナルな部分にかなり関係するものであり

③本人が重要性の高いものであると感じた事柄である

ときに、事実と反することを言い続けることができるでしょうか。牛乳ですけど。

そしてその状態でストレスフリーであり続けることができるでしょうか。牛乳ですけど。

これは個人的な感想なのですべての方にあてはまるものではありませんが、カミングアウトはこの三点が決壊したときに起きるor起こすものであり、その根源には「知ってほしい」という単純で純粋な欲求が存在しています。

 

カミングアウトをする状況

どうでもよくないことと、たいせつな人

どこで「どうでもいい」と線引きをするかは個々の価値観に左右されますが、ひとつの目安としては生活に密接しているかというのもポイントになってくると考えます。

これからお伝えするカミングアウト、その趣旨である性的指向は、ときに暮らしの中では意識しないほど日常的で密接なものです。

そして、あまりに密接であるからこそ、事実と相違することがあれば、ほころびのようにどこからか支障をきたします。

たとえば、

・親しい友人との食事中にたずねられる「彼氏できた?」。

・職場で仲の良い上司や同僚にたずねられる「どんな人がタイプなの?」。

・久々に帰った実家で親(家族)にたずねられる「結婚はまだなの?」。

いや、彼氏じゃなくて彼女だし、あとギャップのある女性がタイプなの。

それにそもそも結婚どころか彼女がいないから!万年募集中だから!わははは!

…と、笑い飛ばしてみたいなぁ。

その裏側には「嫌われたくない、でもたいせつな人だから事実を話したい、でも嫌われたくない、でも…」という無限ループするような思考にとらわれた自分がいます。

葛藤するたびに強く意識するのは、カミングアウトのその先にいる人の存在がとてもたいせつであるということ。

つぎにいつ会うか分からないような、この先を考えないような人なら言わなくたって構わないのです。好きだから、たいせつだから、だからこそ話したい。

どうでもよくないことと、たいせつな人もまた密接な関係にあるようです。

 

カミングアウト~旧友たちへ

15年近く付き合いのある同級生の友人たちにカミングアウトをしたのは、数年前のことです。

彼らは学生時代の部活動の仲間で、社会人になってからも定期的に会うことを欠かさないとてもたいせつな友人たちです。

友人…うーん、「友人」という言葉で表現するのは少々、違和感を感じてしまいます。

というのは、付き合いがあまりにも長すぎてまるで家族のような、兄弟姉妹のような感覚に近いからでしょう。

それほど身近で、そばにいてくれることが当たり前のように感じていた彼らは、私のことなら何でも知っています。学生時代に部活動の大会で泣きべそをかいていたことや、しょっちゅう先生に怒られていた姿も見られているのですから、もういまさら隠すこともありません。

ただひとつ、私がレズビアンであるということを除いては。

かけがえがない存在だからこそ言いたかったこと

言えなかったから言わなかったわけでは決してありません。一定の年齢に達するまでは特にその必要性を感じていなかったのです。

「恋バナ?私は今のところイイ話はないな〜」

社会人になり、彼らと会うたびに恋愛や結婚などの話題が挙がると適当に流してしまうことが多くなります。

そうしていくことで徐々に自分の心苦しさと直面することになりました。

適当に流して、適当な関係で素通りできるならそれでもかまわないと思うのが正直なところ。つぎにいつ会うか分からないような、この先を考えないような人なら言わなくたってかまいません。

しかし、適当に流し続けることが彼らに対して嘘をつき続けることだと気付いたときに、ああ、もうこれは言わなくてもいいことではなく、言うべきことだなあ、と感じました。

受け入れてもらえなかったらどうしよう、という気持ちもありましたが、それでもいいとも思っていました。

それで私のことを嫌うような人たちではないと、おこがましく過信してしまうほど長年の信頼感は強かったのです。

自分よりも自分を理解してくれている人たち

実はわたし、女の人が好きなんだ

新橋の居酒屋さんで、程よく酔っぱらった同級生たちにむかって放ったひとことがコレ。

何でもない風を装いながらポロリと口にした言葉でしたが、内心はとても緊張していました。あまりの緊張にビールの味を感じません。

「嫌われたくない、気持ち悪いって思われたらどうしよう」

「でももう嘘をつきたくない」

「彼らとの今後の関係性が変わってしまったらどうしよう、のけものにされたら…」

「彼らがそんなことをするような人たちじゃないって分かっている、でもそれが私の都合のいい解釈だったらどうしよう」

騒がしい店内で息の詰まりそうな一瞬の沈黙がとても長く感じ。さっき飲んだビールがぜんぶ出てしまうのではと思うほどドッと汗がでてきました。

そして彼らから返ってきた反応は

え?しってるよ?

予想外すぎて、やはりビールの味を感じませんでした。

「え?え?知ってるってどういうこと?」

恐るおそるたずねると、彼らはいつも通りのなごやかで優しい口調で答えました。

「だって学生時代からそんな感じがしてたから」

「おまえ、わかりやすいんだよ〜」

「みんな結構気づいてたよ?ねー?」

「ねー?」

カ、カミングアウトした側のほうが驚かされるなんてことがあるんだな…。

思ってもみなかった反応に驚きのあまりポカンとする私と、なにも変わる様子もなく笑っている彼ら。

どうやら、彼らは私よりも私を理解してくれていたようです。

 

カミングアウト~職場

心の基礎にある信頼性

カミングアウトというと重々しくかたい大事件のように感じられます(もちろんそのようなケースもたくさんあります)が、いきおいに任せてしまうこともあります。

ながく勤めている職場の上司(男性)がまさにそのパターンでした。

上司は仕事においても人間性においても、とても信頼性のある方です。

ここでもやはりカミングアウトにおいて重要なのは深い信頼です。

知ってほしい、という動機とその気持ちを支える信頼性。長年の付き合いであり、仕事はもちろん、そのほかの場面における上司の人間性を尊敬していた私は普段から心をひらける人であると信じていました。

そんな上司とは、カミングアウトする前から週に何度も飲みに行くような飲み仲間でもありました。

お酒を飲みに行った際の話題は、すこし変わったものでした。

業務に関する話題はともかくとして、芸能人やメディアの話になると私は気がゆるんでしまう方です。好きな女優さんやアイドルの話になると白熱してしまい、聞き上手な上司に向かって延々と話し続けてしまいます。

「あのドラマの女優さん素敵ですよね!」

「グラドルの〇〇ちゃんのCM見ましたか!?」

「アイドルの〇〇ちゃん本当に可愛い!」

いま思えばストレートの女性としての振る舞いというよりは、男子高校生と思われてしかるべきものであったなと感じています。

辻褄があいすぎた上司

さて、上司といつも通りベロベロに酔っ払った夜。

お酒で気分が高揚した私は、何が楽しかったのかケラケラと笑いながら突然こんなことを言い放ってしまいました。

実は〜!わたし女の子が好きなんです〜!アッハハハ!

「グラドルの〇〇ちゃん、まじタイプなんです〜!アッハハハ!」

なんと陽気で考えなしなカミングアウトでしょう。

しかも聞かれてもいないのに、好みの女性のタイプまで暴露しています。

目の前で上司は石のようにかたまっています。分かります、これはカミングアウトとかそんなこと以前に反応にこまる面倒くさいヤツです。

上司はひとり陽気に爆笑している私を見ながら何かを考え込んでいました。

そして上司は一言。

「点と点がつながった……」

どうやら、今まで長年話してきたなかで女性の話ばかりする私を不思議に思うことがあったようです。上司の頭の中で散りばめられた疑問点たちが、カミングアウトにより線でつながったとのことでした。

それからも上司とは仕事においても、アフターファイブでも仲良くさせていただいています。

関係性や態度など、劇的に変わったことはありませんがいままでと変化したポイントがひとつだけ。

「私、いまはアイドルの〇〇ちゃんにはまってます」

「ああ〜君の好きそうなタイプだね」

「〇〇ちゃん素敵ですよね?」

「君とはタイプが合わない!」

「ええぇ〜〜?」

現在では、より気兼ねなくお話しできるようになりました。

 

カミングアウト~母親

成人し、ほどなくしてお付き合いをはじめた方がいました。

そのころは私も彼女も実家住まいであり、自宅も職場もはなれた環境であってため、なんとか時間をギリギリまで合わせて会っているような状態でした。

そのため、同棲という提案について話す機会が多くなり、次第にその目標へお互いが協力するようになっていきました。

一緒に住むための物件をさがしたり、日取りを調整したり、家具を揃えたり、あわただしくも楽しい日々が続くなか、ひとつだけ頭のはじっこにひっかかっていたことがありました。

母親への事情説明です。

母には友人とルームシェアをするという名目で説明をしたつもりでしたが、その辻褄の合わなさから、いくつも疑問符をぶつけられていました。

お付き合いしていた彼女と母は対面したことがなかったため、

「そもそもその人はどんな人なの?」

「どこで知り合ったの?」

「友達といっても他人よ?仲良くすごせるの?」

という質問に、丁寧な虚偽の答えを返すところからはじまりました。

言えないよ…レズビアン向けの掲示板で仲良くなってお付き合いしている彼女だなんて言えない…。

そんなに心配しなくても大丈夫だって!(だってそもそも友達じゃなくて彼女だから!)

虚偽の説明をくり返すうちに徐々に憂鬱な気分になる一方で、やはりここでもかけがえのないたいせつな人の存在を強く感じました。

母もまた、私をたいせつに想う気持ちがあればこそ、心から心配してくれていたのですから。

 

母へのプレゼン(カミングアウト)準備

しかし、説明すれば説明するほど、母は疑念を抱いていくようでした。

「昔からの間柄である地元の友人ならともかく…他人と暮らすのは思っているほど簡単なことではないのよ?」

「そもそも何故ルームシェアなの?実家を出たいのであればひとり暮らしで良いんじゃない?」

母の尋問はレベルアップしていきます。

私のHP(ヒットポイント)はガンガン削られていきます。

やめて、もうノンケのふりをするレズビアンのHPはゼロよ!

いま思えばすこし過保護すぎる気もしますが、親が子を心配する気持ちは子を持たない私には想像ができないところです。

しかしながら、くり返される説明と母の質問(ある意味では説得)の堂々めぐりに耐え兼ねた私は、カミングアウトを決意しました。

母へのカミングアウトを決意してからというもの、そのための準備をコッソリとはじめました。

スムーズにカミングアウトをするためには、理解してもらうためのお膳立てのようなプレゼンをする準備が必要だと思ったのです。

①同棲における金銭面での自立性・将来性を明示する

②ストレートの方向けの性的マイノリティ(LGBT)に関するサイトを巡回、分かりやすいページをプリントアウトし冊子にまとめて参考資料として提出

③お付き合いしている彼女はとても誠実で素敵な人であること、真剣な交際であることを告げる

安直ではありますが、この3項目が当時の私が考えた精一杯の「安心してほしい」「知ってほしい」という気持ちからのプレゼン内容でした。

理解はバイアスや先入観を払拭し、ただしい認識と納得のうえになりたつのだ!

そのためには説得だ!

そう息巻く当時の私を叱ってやりたくてたまりません。あなたは理解と受容を混同していると。

 

カミングアウトは私が頑張れば受け入れてくれると思っていた

決行のその夜、台所で母に話しかけた私は、いままで感じたことがない位の緊張感を全身にあびていました。

「まずは金銭面の説得、そして資料を渡す、そしてカミングアウト、からの彼女の説明、ぶつぶつ…」

まるでマニュアルを丸暗記したバイト初日の新人さんの気分です。

愚かしいかな、私はこのプレゼンがかなりの確率でうまくいくと思っていました。

それは自分のことしか考えておらず、カミングアウトの主役があたかも自分ひとりであると思い込んでいた証拠です。

カミングアウトは、発信側と受け取る側でそれぞれ答えが違うこともあります。

答え合わせをしてみないとわからない。それはカミングアウト以外のあらゆる事柄が人によって解釈が違うように、対する人が存在し「言いっぱなし」で済むような内容ではないからです。

プレゼン序盤の金銭面に対する説得は、渋々ではありましたが、母も了承してくれるかたちとなりました。

よしよし、一安心。

そして、ファイルにまとめた資料集を母に手渡し、

「実は一緒に住もうと思っている人は友人じゃなくて彼女なんだ」

そう告げました。

一瞬、母の表情がかたまりました。そして、「なるほどね」と言わんばかりの納得の表情を見せました。

お!これはいけるか!?と思った途端、母はあきれたような声色で

普通でいなよ、普通で

と、ひとことだけ返答しました。

そして、プレゼンの資料集であった冊子は開かれることなくテーブルの上に置き去りのまま、母は二人きりの台所から静かに立ち去りました。

母の言う「普通」が何を意味しているかはすぐに理解できました。普通とは異性愛、ストレートでいた方がいい、という親心からの意見であり、子への希望だったのでしょう。

このあと展開されるはずだった、彼女の紹介まで漕ぎつくことはなくプレゼンは終了しました。

 

普通ってなんだ?

「人と違う」ことが正しくない、おかしいというのなら、この世の人々はみんなおかしい人たちばかりです。一人として同じ人間はいないのですから。

そしてたとえ正しくない、おかしいと言われることでも、それは私の核となる部分です。

批判されても、反感をかっても、知ってもらえるだけで、それだけで心が軽くなることがあります。

一番つらいのは相手を見ないふり、いないふり、相手を知ろうともしない知らんぷりです。

たいせつな人にどうでもよくないことを伝えるために、自己中心的でワガママだと言われても私はそれを諦めたくなかったのです。

 

『北風と太陽』の北風だった私のカミングアウト

母とは冷戦状態のまま、実家を出て彼女と同棲生活をスタートしました。

母とはカミングアウト以後、気まずくギクシャクした関係となってしまいました。

しかし、ここで協力してくれたのは彼女でした。

彼女は、母と私のあいだを取り持つために、母と対面する機会にはなるべく立ち会うようにしてくれました。

お酒好きの母と一緒に飲みに行ったり、実家にあいさつにきてくれたりと、こじれた親子という当事者ふたりでは解消され難いわだかまりを、少しずつほぐしてくれました。

そのおかげで、

「〇〇ちゃん(彼女)とは次いつ会えるの?」

「〇〇ちゃんとはうまくいってるの?」

など、数年前には考えられなかった言葉が飛び出してくるほど。

母は彼女と私の間柄を少しずつ少しずつ受け入れ、歩み寄ってくれたのです。

カミングアウトした当時の私は、まるで童話「北風と太陽」の北風のように、一方的な方法と気持ちで説得すれば理解してくれると思い込んでいました。

年月がたち気付いたのは、理解と受容は違うということ。

そして、自分がただしいと考えることを押し通すよりも、年月をかけて人と心を通わすことの方がはるかに難しく、しかし結局はそれが一番の近道だったのかもしれないということでした。

 

カミングアウトを受容することがすべてではないけれど

さまざまな関係性の中でカミングアウトをするうちに、受け入れてほしいと切実に願う反面、完全に受け入れなくてもいい、と考えるようにもなりました。

矛盾している考えですが、人によって考え方や価値観はさまざまで、そうであるからこそ多様性が存在できる。

一生懸命、寝ずに考えたカミングアウトの言葉でも、そのカミングアウトを受け取る人の価値観や感想は当然その人のものです。

カミングアウトする側はその気持ちにまで介入することができません。

それでも、話を聞いてもらえること、知ってもらえること。それだけでうれしい、それだけでいい。

隠さなくていい、嘘をつかなくていい、本来のそのままの自分でいられることほど難しいけれどありがたく、幸せなことがあるでしょうか。

そして、カミングアウトをしたときの反応は、カミングアウトを受け取る人の人となりをダイレクトに表しています。

あなたはカミングアウトをされたときにどのような気持ちを抱きますか?

どんな気持ちになってもひとつの答えがあるわけではないので、とくに正解というものはありませんが、カミングアウトをする人が選んだ言葉に耳を傾けてみてください。

あなたが聞く姿勢、知る姿勢をしめすことだけで、救われる人もいるのです。